初めまして、石垣島のトレーニングジムLINE’S FITの金城と申します。

スポーツ歴
・空手
・アームレスリング
・パワーリフティング
自己ベスト
83kg級
スクワット:220kg
ベンチプレス:167.5kg
デッドリフト:280kg
トータル:667.5kg
93kg級
ベンチプレス:180kg

沖縄県石垣市生まれ石垣育ち。子供の頃は勉強嫌いで学校から帰ると近くの海で
泳いだり釣りを楽しむ島のごく普通の子供でした。

親や周りの大人達にもかまってもらう事もないので宿題や作文などの提出物は全く無縁。
自由気ままな人生を送っていた。
駄菓子屋で万引きとか普通にやってたのでかなりやんちゃな子供だったかもしれない。

小学校5年生の頃にナメ猫や横浜銀蝿のツッパリブームで不良に憧れて
タバコデビューした。

中学に入ると当然似た者同士の友達ができる。
やんちゃで生意気盛りの男子なのでケンカや武勇伝の話が好きだった。

ケンカに強くなりたくて空手始める
同級生では〇〇が強い、△△先輩と□□先輩とどっちが強い、△中の◇▽は一番強い、
△☆連合最強!そういう話はいつも盛り上がる。

私も強さに憧れてジャッキーチェンやブルースリーのビデオを見ながら研究してました。
当時は今のようにインターネットも無いので唯一の情報源で本気で強くなれるものだと思っていた。


ある日、友達の家で「空手バカ一代」という漫画を読んで極真空手にハマってしまい、特にウィリー・ウイリアムスが熊と戦って殺してしまうシーンはあまりにも衝撃的でした。
「人間鍛えればどこまでも強くなれるのか、よしっ、俺も極真空手習って鍛えてウィリーのように強くなる!ウィリーが熊なら俺はトラと戦うんじゃあぁぁ!」
本気でそう思っていた。

当時はまだ石垣に極真空手の支部は無く極真経験者の方が主宰になり同好会のような道場がありました。
翌日その道場に見学に行き主宰の方に強くなりたい気持ちを伝え翌週から入門が許された。

入門が決まった瞬間から強くなた気分になり、すれ違う高校生達をガンつけまくっていた。
そのうち腕っぷしの強そうな高校生集団に捕まり、ひと気のない場所に連れていかれてボコボコにされた。

自業自得、当たり前の事。しかしそれがキッカケで強くなりたい気持ちが更につよくなっていきました。

空手稽古初日。ナメられたら負け、最初が肝心だと思い眉毛を細く剃り額に鬼のような剃り込みを入れていった。

漫画ビーバップハイスクールの兼子信雄のイメージでしょうか、今思えば笑い話だが中学2年生の自分にとっては必死の作戦だった。

まずはじめに基本稽古から始まる。見よう見まねでやるが余計な力が入りすぎて無駄にスタミナが消耗する。

一通り基本稽古が終わると、その場でヒンズースクワットを20回行う。
まともに出来たのは5回位までで後はまともにしゃがめず、お辞儀してるような
インチキフォームになる。

もうすでに脚がガクガク。そのまま移動稽古に入るが、もうまっすぐ歩けないし腕も上がらない。
呼吸も乱れて声も出ない。今までスポーツもやったこともないニコチン中毒の中学生にはキツ過ぎた。

意識が朦朧して死にそうだったが今でもハッキリ覚えてる事がある。
「今…俺は何してるんだろう、何で…ここにいるんだろう、何で…こんな事をしてるんだろう」

死にそうになている私を見てられなかったんだろうか、主宰の方から道場の端っこで休むように言われた。
こういう時は呼吸が整うまで正座して休むのだが、そんな余裕はなく、そのまま倒れこんでしまった。
この時、自分の存在がいかに小さいか、いかに無力かを知り生まれて初めて挫折感をおぼえる。

当時の道場はエアコンも扇風機もなく、その日は真夏だった。今思えば汗が異常に出てたのでおそらく熱中症か脱水症状だったのだろう。死ななくて良かった。

そんな感じで一月ほど通ってやっと稽古についていけるレベルになっていた。
そして年上の後輩が入門し組手をした時に相手の動きが読めるようになっていた。

初めて自分が成長したという実感があった。

自分のレベルが上がるにつれて稽古もハードになっていく。
当時はグローブや脛保護のサポーター等は無く直接打撃だったので毎日体中に打撲によるアザ。特に脛は常にタンコブが出来ていてメチャクチャ痛かった。

道場では一番年下で先輩方にから空手以外の事も勉強させてもらい可愛がられていたが、結局痛みと稽古のハードさに耐えきれず半年で辞めた。

しかし何をやっても続かなかった私がよく半年も続いたと思う。
短い期間だけど空手を始めて多くを学びました。もし空手と出会わなければ今の自分は絶対にないと思います。

空手を辞めても家でそれなりに練習だけはしてました。
脛の腫れが引くと普通の人より固くなっていたので瓶でガンガン叩きながら自分のペースで鍛えていた。

それ以外は特に上段回し蹴り、後ろ回し蹴り、開脚のハイキック系の練習は感覚を忘れないようにマメにやっていた。

その頃から少し伝統派空手にも興味を持ち始めた。いわゆる寸止め空手である。
極真空手のようなフルコンタクト空手には無い遠い間合いとスピード感がまた違う強さがあるように思えたからである。

高校になって寸止め空手に転向。先輩から基本を教えてもらった。
同じ空手でもルールが違えば全く違うスポーツになる。
フルコンタクトの癖が身についていたので初めの頃は苦戦していた。


ウェイトトレーニングとの出会い
当時の寸止め空手はウェイトトレーニングで付けた筋肉はスピードが落ちるので
やらない方が良いというのが常識でした。今の時代では全くおかしな話ですね。

ある日、毎月購読していた雑誌「月刊空手道」が届き、当時の全日本空手チャンピオンの内田順久氏の記事でベンチプレス120㎏をやってる写真が載っていた。
いつも写真やビデオで見る内田選手は長身で細身のパワーはそれほどなく長いリーチが武器のイメージでしたが、あの細身の身体であのパワーはかなりの衝撃的でした。

当時、私の父はボディビルをやってました。ボディビルと言うほどでもなく今でいうただの筋トレですね。その頃は筋トレという言葉自体がなくてバーベルやダンベルを使って体を鍛えてる人は「ボディビルやってる人」でしたから。

そんな父に内田順久氏の記事を見せ、自分にもボディビルを教えてほしいと頼んだところ喜んで教えてくれた。これがウェイトトレーニングとの出会いである。

高校生という成長期も重なって日に日に筋力が付き身体も変わってきた。
勿論、空手にも十分効果が現れました。

組手では極真のような直接打撃ではないけれど、相手に触れることなくプレッシャーをかける事もできて、足払いも簡単に決まるようになった。

型に関しても腰がしっかり落ちて重心のブレが無くなる。
突き、蹴り、払い一つ一つの動きにキレが増して道着を弾く音や擦れる音も加わるので審判の評価も高くなる。

当時の空手部顧問の先生にウェイトトレーニングを辞めるように言われたがトレーニングを始めて良いことだらけなので素直に辞められる分けがない。

高校3年の最後の試合の頃には正直、空手よりウェイトトレーニングの方が好きになっていた。
ベンチプレスの記録が伸びていく楽しみやパンプアップがとても気持ち良かった。

友達から「筋肉付いたなぁ」と言われるのがすごく嬉しかったので調子に乗り、
歩くときは常に息を吸い込んでガチガチのリラックスポーズになる。
筋トレを始めたばかりの男子にあるある話でしょう。


高校を卒業して友人を頼り東京の某有名家具屋の配送センターで働く。
当時住んでた会社の寮の近くにジムが無かったので、家庭用のバーベルやダンベルを給料日ごとに少しずつ買いそろえていった。

当時は東京でもウェイトトレーニングをやってる人は変わり者扱いの時代なので
職場で筋肉の話をすると笑いものにされる。

トレーニングや筋肉の話をしたい、でも誰にも話せない。トレーニング好きの人にはわかると思う。結構辛かった。

日本ヘルス&スポーツ専門学校
ある日の深夜のテレビにフィットネスインストラクター養成専門学校のCMが出ていました。
一瞬でよく分からなかったので2回目のCMのチャンスを待って電話番号をメモした。
翌日、電話で問い合わせると一月後に学校説明会があるというので即予約した。

今は閉校して無いが日本ヘルス&スポーツ専門学校というバブル絶頂期で
イケイケの勢いのある学校でした。

トレーニングルームだけなら大手のスポーツクラブ並みの機材が揃っていた。
講師陣も豪華でパワーリフティング元日本記録保持者、ボディビル全日本上位クラス。
トレーニング実践以外に解剖生理学、栄養学、スポーツ心理学、スポーツ障害、外傷等が学べる。

すぐに入学手続きをして翌年3月に入学。
同じ趣味、同じ価値観をもった仲間が増えてた事、勉強嫌いな私が好きなことを
好きなだけを学べる環境にいる。毎日が本当に楽しかった。

外部講師でワークアウト五反田オーナーである永田先生の勧めでクラスの仲間と
東京都パワーリフティング大会に初めて参加しました。

永田先生は極真空手をはじめ多くの格闘技選手のトレーニング指導をする、知る人ぞ知る「鬼の永田」という異名がる。大会に向けての練習は自分たちの想像をはるかに超える厳しさで正に鬼だでした。

週二回の合同練習で死ぬほどハードでしたが、それよりも達成感の方が大きくみんなで楽しく練習についていけた。

練習後によく「これだけやれば絶対に強くなれるよな」と口をそろえて言ってたのを覚えている。

大会の結果はどうであれ全員がハードな練習を乗り越えてきたので自信をもって挑むことが出来た。
この時に得られたマインドは今後の競技や人生にも大きく役に立つことになる。


専門学校卒業後は当然のように大手のフィットネスクラブに入社するために就職活動をした。
しかしバブル絶頂期のこの業界はいくら資格や知識があっても給料に反映されることは無かった。

同じ学校のダンス系クラスの女の子でトレーニング知識も全くなくフィットネスクラブでトレーナーとしてアルバイトが出来る時代でした。

インストラクターとは名ばかりで仕事内容はトレーニングマシンの説明とお客様のおしゃべり相手というのがほとんどだった。

就職活動であるクラブの支配人の方に「いくら資格を持っていてもそれは自分の為でしょ。会社が求めるのは集客だよ」と実際に言われました。

ビジネスなので当然の話である。学校では資格を多く取得ように教えられていたので若かった私はすぐにその違いを受け入れることはできなかった。

今さら別の業界には行けないので、ならばフィットネスに関連する会社を探していたら
学校の講師からトレーニング機器の輸入販売の会社を紹介された。
そして約14年間この会社で勤務することになりました。

私が入社した頃は10名ちょっとの小さな会社でしたが、今では業界の中心的な会社に成長している。良くも悪くも多くを学ぶことが出来た。

特に私の担当するお客様や外部の方には在職中や退職後も大変にお世話になり仕事観や人生観を学ばせていただきました。

退職後3ヶ月程、年に一度のフィットネスイベントを主宰するM氏の所でアルバイトそをしました。
このイベントのスタッフとして思ったことは、私は14年間フィットネス業界にいてフィットネスのほんの一部しか知らなかったということです。

石垣に戻る
母の体調不調で石垣に戻ることになった。母がお世話になっていた病院には膝の悪い方が多く、特に変形性膝関節症の高齢の女性患者が多かった。
高齢という理由もあると思うが体重増加、筋力不足、運動不足等が悪化を加速させていると思います。

担当医から教えてもらったといういくつかの筋トレがあまりにも雑すぎた。
スクワットに関しても危なっかしいフォームでした。その時はしっかり
教えたのかもしれないが高齢の方は1回の指導で覚えるのは難しいでしょう。

当時は石垣に戻ったばかりで仕事もしておらず暇だったので、それならばと思い
50代~60代女性をターゲットに12畳ほどの小さなスペースを借りてジム
(LINE’S)を始めました。

予算もないので宣伝広告は店頭に置くチラシのみ。後は口コミだけで思った以上に入会者が増えました。

オープンして1年でスペース的に手狭になったので30坪のスペースに移転。
男性も利用したいという要望もあったのでこれを機に男女共用のジムに変更。

一年半ほど経って自分の理想としていたジムとはズレが生じて行くのを感じ、
それが次第に大きくなっていった。

システムその他、色々大きく変更するには少し考える時間が欲しいと思ってた矢先にタイミングよく整形を兼ねたジムの開業に誘いの話があり、そちらで3年ほど勤務することになりました。

既存の会員様一部を除いて全員移籍してもらい一旦ジムを閉鎖した。

3年ほど勤務して内部からの医療現場を見る事ができ、その間20年ぶりに、
パワーリフティングの試合に何度か出場して新たに発見した事や再確認できた事も多かった。

トレーナー・理学療法士・医師のそれぞれ役目があります。私のトレーナーという職業は予防医療という大切な役割があると強く感じるようになりました。

細かいことはここでは書きませんが、この国の医療費を抑えるのもトレーナーという職業にかかっていると思います。この記事を読んでいるトレーナーの方がいましたら、自信と誇りをもって自分の仕事に励んでほしいと思います。

トレーニングジム開業準備
自分の温めていたものを何度もバージョンアップできてやっと実現できそうになってきた。
事業計画、資金計画、物件探し、機材・輸送料の見積もり、

納期に合わせての作業計画を何度も作ってやり直しを繰り返した。大変な作業でしたが、
考えてる時のワクワク感のほうが勝っていたので楽しかった。

準備期間の合間に市のトレーニング施設で勉強もかねてパーソナルトレーニングもしていました。

2名のクライアント様が付き、お二人も経営者で私がトレーニング指導する以上に
経営に関する事を教えて頂き大変お世話になりました。

書類上の準備が決まれば一気に作業に入る。先ずは空いた物件に残った廃棄物の処理、
壁板剥がし、仕切りの解体、床材剥がし。これだけでもかなりの重労働で2週間はかかる。

それから壁や鉄骨のサンディング、塗装の下塗り上塗り電気の配線、水道の配管。睡眠不足
のうえ広告用のビフォーアフター写真撮影の減量の疲れも重なり、疲労困憊で思考が回らない。

95kgから減量スタート

約3ヶ月で80kg

(77㎏まで絞ったが、その画像を紛失してしまった)

「今だから言えますがトレーニングは肉体労働がほとんど。
食事もまともに取らない無謀な減量でした。
クライアントには絶対に進めまられません。
筋量もだいぶ落ちましたが、ビフォーアフターの写真は
パンプアップと日焼けとライティングでごまかしています(笑)」

そんな状態での作業なので丸一日かけて電気配線作業したのに配線ミスでショートして一からやり直したり水道管が破裂しやり直し。

さらに台風の2度来て、その度に台風対策や物の出し入れで三日はつぶれる。
何度も失敗も繰り返しながら先の見えない作業を永遠と繰り返す。

そんな時、思わぬ助っ人が来てくれた。同級生のY君。
彼とは普段ほとんど付き合いは無くFacebook上で話すくらいでした。

彼も店舗作りの大変さえを知っているので作業のお願いをする間もなく自分で考えて
テキパキと動いてくれた。

私は疲労困憊で思考が回らない状態なので本当に助かった。Y君以外にも塗装作業を
やってくれた元会員のSさん。

廃棄物分別や床材張りを積極的にやってくれたクライアントのTさん。

トラックを持ち込み大量の廃棄物処理をしてくれた同級生のN君。

軽トラを持ち込み搬入作業・組み立てをしてくれたアーム仲間のSさん。
まだまだ書ききれないほど多くの方々に支えられてきた。

落ち込んでる時の気持ちを何度も立て直してもらい辛い作業を乗り越えることもでき、
本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

ライトが一つ、二つ点いていき、コンセントが使えるようになり、蛇口から水が出る。
私たちの生活の中に普通に電気や水道が使える事がいかにありがたいことか深く考えさせられた。

今回の開店準備をなぜ工事業者を使わずに自分でやったかと何人かの方に言われたが、
この事も別の機会で話すことにします。

2015年7月28日LINE’S FITオープン
睡眠不足、疲労困憊、不安だらけのオープンでしたが、思いもよらない方々から開店祝い花が続々と届き、次第に問合せや見学者も増えていった。

入会者も日に日に多くなっていき、お陰様で開業一年足らずで会員数100名を超えることができました。

多くの方々に支えられ協力すて頂いてLINE’S FITをオープンすることが出来きて、感謝の気持ちでいっぱいでした。

今回ブログを開設したのはLINE’S FITをオープンして改めて思ったことを
一言でいうと、やっぱりウェイトトレーニングは最高のエクササイズという事です。

現会員様は勿論、会員様以外の多くの方にウェイトトレーニングの楽しさや素晴らしさを
伝えていきたいと思います。

初心者や中級者、お住まいが遠方の方や様々な理由でジムに通えないホームトレーニーの
為に私がこの業界に入って約1000名の方に指導してきた経験や

パワーリフティング競技で何度も挫折や怪我を乗り越えてきた体験などを基に広めていきたいと思います。

これから多くのトレーニングファンの方に有益な記事を投稿していきますので
機会があれば時々見に来ていただければ幸いです。

今後ともよろしくい願いします。
LINE’S FIT 金城

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